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伽羅ノ御所を後にした秀衡と竜は、徒歩(かち)で中尊寺のある関山(かんざん)へと向かっていた。
紅葉の盛りも過ぎた寂寥(せきりょう)たる道のり――。
先を行く秀衡は終始無言で、竜も黙ってそれに従う。散り敷く朽ち葉を踏みしめる音だけが辺りに響き渡った。
しばらく行くと、路傍にいくつもの小さな堂を認めるようになり、道行く僧らが立ち止まっては拝礼するのに合わせ、竜もその度に会釈を交わしながら進んでいたが、やがて視線の先に現れた光景に我知らず瞠目して、しばしその場に立ちつくした。
黄金の御堂(みどう)――。
壁や柱は言うに及ばず、屋根から軒下・梁(はり)に至るまで全てに惜しみなく金箔の施された、まさしく皆金色(かいこんじき)の堂宇(どうう)である。木洩れ日を受けて燦然(さんぜん)と光り輝く様は、あたかも極楽浄土を具現しているかのような、崇高なまでの美しさにあふれていた。
「我らが一族が長き年月に渡り心血を注いで築いて参った楽土平泉の象徴じゃ……」
声も上げられぬほどの竜の驚きぶりを見て、秀衡は誇らしげにささやきながら堂の中へと誘(いざな)う。
そこに納められた御仏(みほとけ)の数々もまた、各々が金色の光を身にまとい、そのまばゆいばかりのきらめきに思わず目がくらみそうになる。奥州藤原氏の財力をそのままに見せつける、絢爛華麗(けんらん・かれい)な世界がそこにあった。
「我が祖父、そして父が今なおここに眠っておわす。奥州がいつまでも安寧(あんねい)であることを祈り続けて……。やがては、このわしとてここにこの身を横たえる時が参るのじゃ……」
竜は咄嗟に息を飲んだ。
この痛ましいまでの輝きに満ちた御堂が、他でもない黄金を司る王者達の墓所であろうとは……。
死してなおこの地を守る――。
秀衡の言葉の端々からもほの見える彼らの並々ならぬ執着の強さを推し量るにつれ、竜の胸の内には言い知れぬ思いが留めどなく湧き上がってはわだかまった。
平泉にやって来てからというもの、吉次の言っていた『黄金が生み出す、真のこの世の栄華』というものを嫌と言うほど思い知らされて来た。それが、これまで平家隆盛の世しか知らなかった竜の価値観を大きく変えようとしていたのは言うまでもない。
しかしながら、その一方で舞草刀(もくさとう)がそれを支える一角を担い、蝦夷人(えみしびと)と大和人(やまとびと)の間には目に見えぬ葛藤が綿々と横たえている……、そんな世の不条理さに大きな疑問を感じていたのも事実だった。
この世に築かれた浄土の光の輝きに、色濃く浮かび上がる穢土(えど)の影――。
そこから目を背けて何が楽土であろうか……。
しかし、そう心の中で強く憤りながらも、思い返してみれば、竜自身もまたどこかで己の本心を押し殺し、秀衡の意に叶うように立ち回っていた部分も否めず、そのことに今さらながら羞恥(しゅうち)の念を抱かずにはいられなかった。
「竜よ……。その方はこの平泉の地を何と思う?」
おもむろに尋ねた秀衡にも竜は口ごもった。
「正直に申すがよい。ただし言葉には気をつけよ。まかり間違えばその首が飛ぶやもしれぬからな……」
物騒な物言いとは裏腹に、秀衡の表情はいたって穏やかだった。
「それは美しく豊かなる土地にございます……。あるいは京をも遥かにしのぐ、まるでこの世の浄土とも言うべき……」
「嬉しいことを申してくれるのう……」
自然と秀衡も頬を緩ませたが、しかし竜の顔に笑みはなかった。
「されど……、それが御館殿の本心から望まれる国のあるべき姿にございましょうや……」
竜の何かしら含みのある返答に、秀衡は少し首をかしげながら、
「ほう……。それはどういう意味か?」
「今こうして御下問(ごかもん)あることこそ、何かその御心に沿わぬものがおありになるゆえと存じ上げまするが……」
突然、甲高い笑いが堂内に響き渡った。
「その方、見かけによらず、ずるい物言いを致すのう……」
秀衡は目を細めて、中央に鎮座する如来を眺めた。
「いかにも、わしは今の陸奥に満足してはおらぬ。我らが祖先の描いた夢の世界はこのようなものではなかったと……、あの世に行ってからもさぞかしお叱りを受けよう……」
「……夢の世界?」
見返す竜に秀衡は静かにうなずく。
「理想郷の建設、京の干渉を一切受けぬ独自の国造り――。この国の黄金がそれを可能にしてくれるものと……、さよう信じてな……」
「……」
「したが、その黄金ゆえに、この奥州は、京の欲の皮の突っ張った連中の意の許に蹂躙(じゅうりん)され、多くの血も流れた。戦乱は何十年にも及んだという……。そうした犠牲の果てに、ようやく我らはこの土地を手に入れたのだ。それからというもの、この地を守るために毎年膨大な黄金を京に贈り続けて参った。京の朝廷が真に欲しがるものは土地などではない。あくまでもそこから生み出される黄金なのじゃ……。それさえ手に入るなら後はどうなろうと関心もない。東の果ての俘囚(ふしゅう)ごときに何ができようかと蔑(さげす)むだけのこと……。我らとてわざわざ事を構えるほど愚かではない。望まれる以上の黄金を差し出し、そうして機嫌を取っておいて、この平泉を京にも負けぬ立派な都に致すべく日々力を尽くして参った。次々と壮麗な伽藍(がらん)を建立し、京の内裏にも勝る御所を造り……。したが、それらが果てして祖先の真に求めておったものであったのかどうか……」
「……」
「京とは異なる楽土をと願いながら、気づけば同じものを求めておる……。その相反する道をいずれへ向かうべきかも見失うてな……」
そこまで述べ立てて、ふと秀衡は戸惑うような眼差しを竜に向けた。
「竜……、そちは不思議なやつよ……。こうして話しておると、これまで気づかずにおったこと……、いや、わかっていながらあえて目をつぶって参ったことを改めて目の前に突きつけられておるような気がしてならぬ……」
「……」
「決してこのままでよいと思うてはおらぬ……。なれど、新しい一歩を踏み出すにはそれを守るに倍する気力が必要なのじゃ……。しかし、それをなすにはこの秀衡はいささか年を取り過ぎた……」
秀衡自身、初めて認めた己の内に潜む弱さ――。
年を経るごとに次第に失せ行くばかりの気概(きがい)――。
それが『老い』というものだと、今この場で初めて気づかされたようで、ただただ呆然とするばかりだった。
「ならば……、夢を見ることもやめると仰せられますのか?」
不意の一言に秀衡はつと唸(うな)った。
「夢か……。いや、それはできまい……。人は夢を見ることをやめては生きて行けぬ。あるいは、人生そのものが夢を描いた一幅(いっぷく)の絵巻なのやもしれぬ……」
「ならば、生きうるかぎり、その夢を成し遂げようともがき続けるのもまた人の性(さが)――。このままで良いと思うておられぬのなら、ほんの少しずつでもよろしいではありませぬか。より良き国と成すためにできることがあるはずにございます。年老いたなどとは言い訳にもなりますまい」
竜の穏やかでありながら力強い言葉に、秀衡は半ば唖然としながらもじっと耳を傾けた。
(陸奥の王者と崇(あが)められる我が身が、どこの馬の骨ともわからぬ者に人の道を説かれようとは……)
秀衡の胸に心地よい敗北感が広がっていた。
「その方はわしに死ぬまでこの国のために働けと申すのだな」
「それが御館殿のお望みである限りは……」
そう答えて涼やかに見つめ返す竜に、秀衡も再び相好(そうごう)を崩した。
「この御館に堂々と意見を致しおって……。他の者であれば、間違いなくその首と胴は二つ所に転がっているところぞ。しかし、その方の申し様にはなぜか腹も立たぬ……。むしろそうせねばと……、いや、必ずや成し遂げられるものとさえ思えてくる……」
「御館殿……」
「これも御仏のお導きやもしれぬな……。我が迷い振り払うために天よりお遣わし下された……」
秀衡の迷い――、その内には当然九郎の処遇もあるものと竜もすぐに察した。
「御館殿、恐れながら……、この竜の願い、お聞きいただけましょうか?」
秀衡は視線を如来に向けたまま微動だにしない。その隙のない物腰に、竜も己の心中などとうに見透かされていることを感じ取っていた。しかし、それでもあえて拒もうともしない秀衡の姿に、もはやそこに賭けてみるほかないと思い定めた。
「九郎殿のことにございます。どうか御対面のほどを……」
「その儀については、既に聞き入れることはできぬと申し渡したはずじゃ……」
向き直った秀衡の表情にはなおも穏やかな笑みが浮かんでいるものの、その目は鋭い威厳に満ち、有無を言わせぬ為政者の顔へと変貌していた。が、竜はうろたえる様子も見せずさらに続けた。
「どうか、せめて一目なりとお会いになってみて下さりませ!」
「ならぬ! この平泉を守るためには何があっても朝廷と事を構えてはならぬのだ! 今や天下は平家の手の中にある。ならば、その敵たる源氏の御曹司がこの地に留まることなど、断じて許すわけには参らぬ!」
まさに難攻不落の要害――。
そこに理があると承知でも、国政という大義の前にはそれを認めることもよしとしない……。
政(まつりごと)を担う者の常とは言え、大人物と見定めたはずの秀衡に竜は失望の念を禁じえなかった。
「では……、そうまで仰せになるのであれば、今のお言葉、御館殿御自ら九郎殿に直に仰せになって下さりませ。いつまでも目をつぶって、ただ嵐の通り過ぎるのを待っておられるのは、恐れながら卑怯の極みにござります!」
「何と!」
「ご自身の目で九郎殿の人と形(なり)をしかと御覧になり、その上で追放するなりお斬りになるなり、存分になさればよろしいではござりませぬか!」
もはや竜に御館殿に対する畏敬の念などなかった。
乱暴なまでの言葉の礫(つぶて)の数々――、それは秀衡一個人に向けられているものに他ならなかった。しかし、そのことがかえって秀衡の心を大きく揺さぶった。
「その方は九郎殿を斬ってもよいと申すのか?」
ひどく困惑した面持ちで秀衡が尋ねる。
「それが運命ならば……、是非もありますまい」
きっぱりと言い切った竜のその冷淡なまでの眼差しに、今度は秀衡の方がひどくうろたえ、ついには黙り込んでしまった。
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