年表4:1181−1190 《安徳〜後鳥羽》
   
 
天皇 西暦 和暦 月 日 事     項 出   典

 

 
 
 
 
 
 
1181 治承5 1.12 高倉上皇が危篤に陥る 玉葉
1.13 中宮平徳子(27歳)を後白河院(55歳)の後宮に入れるとの風聞 玉葉
1.14 高倉上皇(21歳)が崩御 玉葉・百錬抄
1.20 平清盛の娘(母厳島典侍:御子姫君)が後白河院の許に入内 玉葉
2.27 平清盛が病床に就く 玉葉
閏2. 4 平清盛(66歳)が薨去 玉葉・百錬抄
閏2.15 平重衡(26歳)が追討使となり東国へ発向 玉葉・百錬抄
閏2.23 大納言藤原邦綱(60歳)が逝去 玉葉
3.10 尾張川(墨俣)の合戦 平家軍が源行家軍を撃退 百錬抄
4.21 源頼朝(35歳)が奥州の藤原秀衡の娘を娶る約諾ありとの風聞 玉葉
6.13 横田河原の合戦 玉葉(7/1)
6.15 造興福寺定め 百錬抄
6.26 造東大寺定め 百錬抄
7.19 平通盛の率いる追討軍が北陸道に発向 玉葉
養和1 8.15 藤原秀衡が陸奥守に任ぜられる 玉葉・吉記
9. 6 平通盛軍、越前国で源氏と合戦して敗退 百錬抄
11.21 平通盛・行盛らが北国より帰洛 玉葉
11.25 中宮平徳子の院号の定め 玉葉
1182 養和2 2.14 源頼朝(36歳)が妻政子の懐妊により伊東祐親を赦免するも自害 吾妻鏡
3. 9 北条政子(26歳)の着帯の儀 吾妻鏡
3.17 城太郎助長が木曽追討に進発した直後に頓死 玉葉
4.21 賀茂祭にて平有盛が祭使を務める 玉葉
寿永1 5.27 中宮平徳子(28歳)に建礼門院の院号宣下 玉葉
8.12 北条政子が源頼朝の嫡子萬寿を出産《後の源頼家》 吾妻鏡
11.10 北条政子が源頼朝の寵女亀の前の館を破却させる 吾妻鏡
11.12 源頼朝が牧宗親(北条時政室 牧の方の兄)の髻を切る 吾妻鏡
11.14 北条時政が伊豆へ進発 吾妻鏡
1183 寿永2 3.25 木曽義仲(30歳)、嫡子義高を頼朝(37歳)の許に遣わし対立回避 一代要記・平家物語
4.17 平家の大軍、木曽追討のため北国へ向かう 玉葉・百錬抄
5.11 砺波山の合戦(倶利伽羅峠の戦い) 玉葉(5/16)・百錬抄
6. 1 篠原の合戦 玉葉・吉記(6/5)
6.10 義仲、延暦寺に牒状をおくる 平家物語
7. 8 平家、一門の公卿連署の願書を山門へ送る 吉記(7/12)・百錬抄
7.22 義仲軍、比叡山延暦寺に入る 吉記
7.24 後白河院(57歳)、密かに比叡山へ御幸 玉葉・吉記・百錬抄・
愚管抄
7.25 平家都落、福原へ退去 玉葉・吉記・百錬抄・
愚管抄
7.28 義仲、後白河院を守護して都に入る 玉葉・吉記・百錬抄・
愚管抄
8. 6 平時忠(57歳)を除く平家一門の官職を解く
京中で略奪等の狼藉が倍増
玉葉・百錬抄
玉葉
8.10 平時忠に遣わした御教書の返礼が到来
義仲が左馬頭・越後守、行家が備後守となる
玉葉
百錬抄
8.16 平時忠を解官
義仲を伊予守、行家を備前守に遷任
公卿補任
百錬抄
8.18 新天皇を決める御占を行う 玉葉

 

 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
鳥 
 
 
8.20 故高倉天皇第四皇子尊成親王践祚(後鳥羽帝:3歳) 玉葉・百錬抄・愚管抄
8.26 平家、大宰府に到着 玉葉
10. 9 前兵衛佐源頼朝を本位に復する 百錬抄
10.18 池大納言平頼盛(54歳)、関東下向 玉葉(10/20)
10.20 緒方維義を始め国人等に追われ、平家が九州を退去 玉葉(閏10/2)
吉記
(11/4)
閏10. 1 水島の合戦 玉葉(閏10/14)・吾妻鏡
閏10.17 頼朝の弟九郎義経(25歳)が数万の軍を率いて上洛するとの風聞 玉葉
?. ? 平頼盛が鎌倉に到着し、頼朝と対面 玉葉(11/6)
11.12 平資盛(26歳)が後白河院近臣知康の許に使を送ったとの風聞 玉葉
11.19 後白河院と対立した義仲が法住寺殿を攻撃 玉葉・吉記・百錬抄
11.21 権大納言松殿師家(11歳)が内大臣・摂政となる 玉葉(11/22)・百錬抄
11.28 義仲、三条中納言朝方以下卿相雲客49人を解任 百錬抄・公卿補任
11.29 室山の合戦 平家軍が行家軍を撃退する 玉葉(12/2)・吉記(12/3)
12. 3 義仲が平氏に和睦の使を送ったとの風聞 玉葉
12.13 義仲と平氏の和睦が成立し、来春に平氏入洛との風聞 玉葉
1184 寿永3 1. 6 鎌倉軍が墨俣を越え美濃に入ったとの風聞 玉葉
1.11 木曽義仲、征夷大将軍となる 玉葉(1/15)・百錬抄・
吾妻鏡
(1/10)
1.12 義仲、後白河院(58歳)を奉じて、北陸へ下向するとの伝聞 玉葉
1.20 宇治川の合戦 義仲(31歳)は粟津で討死 玉葉・百錬抄・吾妻鏡
1.21 近衛基通(25歳)を摂政に還補 玉葉
1.29 源範頼・義経(26歳)が院参 平家追討を奏聞し西国へ発向 玉葉・百錬抄
2. 4 平氏安徳帝(7歳)を奉じて福原に逗留 玉葉
2. 7 一の谷合戦 玉葉(2/8)・百錬抄
2. 9 生け捕られた平重衡(29歳)が入京 玉葉
2.10 重衡、剣璽奉還の仲介を申請 玉葉
2.13 平家の首が都大路を渡され、獄門の木に掛けられる 玉葉・百錬抄
2.14 平通盛室 小宰相が入水 平家物語
2.15 重衡、帝と神器奉還の書を屋島へ送る 吾妻鏡(2/20)
2.19 維盛(28歳)が30艘ほどを率いて屋島より出奔し、資盛(27歳)等は豊後で生け捕られたとの風聞 玉葉
2.23 平家追討の宣旨下る 玉葉
2.29 平家、和平を希望する返書 玉葉
3. 1 頼朝(38歳)の不承知により平家との和睦決裂 玉葉
3. 7 平氏から没収した所領500余所が頼朝に与えられる 愚管抄
3.10 頼朝の要請により、重衡が鎌倉へ送られる 玉葉
3.23 頼朝が摂政に九条兼実(36歳)を奏請 玉葉
3.27 重衡、伊豆国府に到着
頼朝、義仲追討の賞により正四位下に叙される
吾妻鏡
百錬抄・吾妻鏡
3.28 頼朝、伊豆の北条館において重衡と対面
維盛
(28歳)、高野山で出家して熊野三山を参詣した後、那智の沖で入水
吾妻鏡
平家物語
 
4. 1 頼朝、伊豆より鎌倉に帰着 吾妻鏡
4. 8 重衡、伊豆より鎌倉に来着 吾妻鏡
元暦1 4.20 頼朝、重衡の許に千手の前を遣わす 吾妻鏡
4.21 義仲の嫡男志水冠者義高が鎌倉を出奔 吾妻鏡
4.26 義高、誅殺される 吾妻鏡
4.28 故平重盛の子忠房が密かに関東下向したとの風聞 吉記
4.29 文覚が院参して荒言を吐いたとの風聞 玉葉
5.21 頼朝、頼盛らの還任を要請する書状を高階泰経に送る 吾妻鏡
5.   平頼盛、帰洛 公卿補任
6. 5 源範頼、三河守に任じられる 一代要記
6.23 東大寺大仏再興の鍍金料として頼朝千両、秀衡五千両を献納 玉葉
7. 8 伊賀伊勢の国人(平家郎従平田入道家継ら)が謀叛 玉葉・百錬抄(7/19)
7.21 謀叛を起こした平田入道家継が梟首される 玉葉
7.28 後鳥羽天皇即位(5歳) 玉葉
8. 6 義経(26歳)、検非違使・左衛門尉に任じられる 山槐記・吾妻鏡
8.12 義経、出羽守信兼討伐のため伊勢国へ発向 山槐記
8.18 文覚が源義朝の首を手に鎌倉へ下向したとの風聞 玉葉
8.23 摂政近衛基通が法皇の仲介により頼朝の婿になるとの風聞 玉葉
9. 2 範頼、平家追討のため西国へ発向 百錬抄
9.18 義経、従五位下に叙される 山槐記・吾妻鏡
9.26 備前国藤戸で源平が交戦 玉葉
10. 6 頼朝、公文所を設け大江広元を別当とする 吾妻鏡
10.13 長門に進軍した範頼軍が教盛軍に迎撃される 玉葉
10.20 頼朝、問注所を設け三善康信を執事とする 吾妻鏡
11.18 大嘗会 玉葉・吉記・百錬抄
1185 元暦2 1.10 源義経(27歳)、平家追討のため西国へ発向 百錬抄・吉記
2.16 高階泰経、義経発向を制止するため渡辺に向かう
義経、暴風を突いて四国へ渡海
玉葉
平家物語
2.18 義経軍は勝浦に上陸し、平家方の桜間介能遠の軍を攻略 吾妻鏡
2.19 屋島の合戦 吾妻鏡・玉葉(3/4)
2.22 梶原景時ら、屋島に到着 吾妻鏡
3. 7 頼朝(39歳)、東大寺修造料として、米一万石、砂金千両、上絹千疋等を寄進 吾妻鏡
3.24 壇ノ浦の合戦  安徳帝(8歳)入水 玉葉(4/4)・百錬抄

 

 
 
 

 
 
 
4.11 西海より平家討滅の飛脚が鎌倉に到着 吾妻鏡
4.25 神鏡・神璽が入京 玉葉・百錬抄
4.26 平家の捕虜が入京し、大路を渡される 玉葉・百錬抄
4.27 頼朝、従二位に昇進 玉葉・百錬抄
4.28 建礼門院が吉田の辺に渡御 吾妻鏡
5. 1 建礼門院(31歳)出家
伊勢の謀反人忠清法師が姉小路河原の辺で梟首される
義仲の妹(字は菊)が京より鎌倉に参着
吉記
吉記
(5/14)
吾妻鏡
5. 7 義経、宗盛ら平家の捕虜を伴い関東下向 玉葉・吉記・百錬抄
5.15 義経、酒匂に到着するも、鎌倉への入府を禁じられる 平家物語
5.16 平宗盛、鎌倉に到着 吾妻鏡
5.21 前大納言平時忠(59歳)に能登配流の沙汰 玉葉
5.24 義経、陳弁の書を大江広元に送る(腰越状) 吾妻鏡
5.29 平頼盛(55歳)、東大寺において出家 吉記・吾妻鏡(6/18)
6. 7 頼朝、宗盛を引見 吾妻鏡
6. 9 義経、宗盛父子と重衡を伴い京へ進発 吾妻鏡
6.21 宗盛(39歳)・清宗(15歳)父子、近江国篠原で斬首される 玉葉・百錬抄・吾妻鏡
6.22 宗盛父子の首、京に入り獄門にかけられる 玉葉・吉記・百錬抄・
吾妻鏡
6.23 重衡(30歳)、南都の大衆に渡され、木津川の辺で斬首される 玉葉・百錬抄・吾妻鏡
7. 9 大地震 玉葉・山槐記・吉記・
百錬抄・吾妻鏡
文治1 8.14 義経、伊予守に任じられる 百錬抄
8.28 東大寺大仏開眼供養 玉葉
9.23 平時忠以下平家の人々が配所へ送られる 山槐記・吾妻鏡
9.末 建礼門院、大原寂光院へ入る 平家物語
10. 9 頼朝より義経暗殺の密命を受けた土佐房昌俊が京へ出立 吾妻鏡
10.17 土佐房、義経襲撃に失敗 百錬抄・吾妻鏡
10.18 義経・行家に源頼朝追討の宣旨下る 玉葉
10.26 義経、土佐房を襲撃して鞍馬に逃亡したところを捕え、六条河原で斬る 吾妻鏡
11. 2 義経、院の御所に参上し、鎮西に下ることを奏聞 玉葉
11. 3 義経・行家ら西国へ発向 玉葉・百錬抄・吾妻鏡
11.12 頼朝の申請により、源義経追討の院宣が下る 玉葉
11.24 頼朝の代官、北条時政(48歳)が入京 玉葉・吾妻鏡
11.25 頼朝に義経・行家追討の宣旨下る 吾妻鏡
11.29 諸国に守護を置き、荘園に地頭を捕す 吾妻鏡
12.17 北条時政、平維盛の嫡男六代(13歳)を伴い京を進発 吾妻鏡
12.18 義経と懇意の高階泰経・経仲、藤原能成が解官される 玉葉
12.28 頼朝の要請により九条兼実(37歳)を内覧とする 玉葉
12.29 議奏公卿を設置(兼実以下10名) 玉葉
1186 文治2 1. 5 文覚、許された六代を伴って都に入る 平家物語
3. 1 北条時政(49歳)、7ヵ国の地頭職を辞退 吾妻鏡
3. 6 頼朝(40歳)、義経(28歳)の室静に義経の所在を尋問 吾妻鏡
3.16 九条兼実(38歳)を摂政氏長者とする詔が下る 玉葉
3.25 北条時政、関東へ下向 玉葉
春の頃 後白河院(60歳)、建礼門院(32歳)を訪ねて大原へ御幸 平家物語
5.12 行家、和泉国八木郷で捕われ、淀の赤井河原で斬られる 玉葉・吾妻鏡
6. 1 義経が鞍馬に潜伏しているとの風聞 玉葉
閏7.29 義経室静が男子出産、頼朝の命により由比ヶ浜に棄てられる 吾妻鏡
9.20 源義行(義経)の家人佐藤忠信らが討たれる 玉葉
11.25 源義顕(義経)追討の宣下 玉葉
1187 文治3 2.10 義経(29歳)、陸奥国の藤原秀衡の許へ逃れる 吾妻鏡
2.28 記録所を設置 玉葉
3. 5 義経が平泉に潜在することが頼朝に知れる 吾妻鏡
7.20 長門の海で宝剣を捜索させる 百錬抄
10.29 藤原秀衡、死去 吾妻鏡
1188 文治4 2.21 藤原基成・泰衡(30歳)に義経(30歳)追討の宣下 玉葉
10.12 泰衡に義経追討の宣下 吾妻鏡(10/25)
12.19 後白河院(62歳)、新造六条殿に移徒 定長卿記
1189 文治5 2.17 頼朝(43歳)に内裏修造の院宣下る 吾妻鏡
2.24 平時忠(62歳)、能登国配所において死去 吾妻鏡(3/5)
3.11 義経に加担した罪により藤原頼経が伊豆国配流となる 玉葉
春の頃 六代(16歳)、出家して高野・熊野参詣へ 平家物語
閏4.30 義経、泰衡に攻められ平泉高館で自害 (享年31歳) 吾妻鏡・百錬抄(6/1)
7.19 頼朝、泰衡追討のため陸奥国に向けて鎌倉を進発 吾妻鏡
8.22 頼朝、平泉に入る 吾妻鏡
9. 3 藤原泰衡(31歳)、郎従河田次郎に討たれる 吾妻鏡
10.24 頼朝、鎌倉に帰着 吾妻鏡
1190 文治6 1. 3 後鳥羽天皇(11歳)元服 百錬抄
1.11 九条兼実の娘任子が入内 百錬抄
建久1 4.14 一条能保室(頼朝の姉妹)逝去 百錬抄
4.22 後鳥羽帝の生母藤原殖子に七条院の院号宣下 百錬抄
4.26 藤原任子が中宮となる 玉葉・百錬抄
10. 3 頼朝(44歳)、上洛のため鎌倉を進発 吾妻鏡
11. 7 頼朝上洛 玉葉・百錬抄・吾妻鏡
11. 9 頼朝、権大納言に任じられる 玉葉・百錬抄・吾妻鏡
11.24 頼朝、大納言右大将を兼任 玉葉・吾妻鏡
12. 3 頼朝、大納言右大将を辞職 百錬抄・吾妻鏡
12.14 頼朝、京を進発 玉葉・百錬抄・吾妻鏡
12.19 頼朝、鎌倉に帰着 吾妻鏡
      
    
    
    
    
 
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