第1章更新履歴簡単解説
 
 
   
2003年12月26日「合わせ鏡の悲哀」をアップ
 
  今節より新たに平維盛が登場!
紅梅の少将との異称もありますが、その美貌は光源氏にもたとえられ、ゆえに、『平家物語』で語られるその悲劇的な末路は、一際涙を誘います。
富士川の合戦での敵前逃亡ともいえる醜態が、彼の名を著しく貶め、また、平家滅亡の引き金となるわけですが、それはまだまだ先の話です。
 
ところで、重衡と維盛は、叔父と甥の関係ながら、その年齢差はわずかに1歳。徳子が中宮になると中宮亮・権亮、言仁親王(後の安徳天皇)が春宮となると春宮亮・権亮に、揃って任官するなど、常に、何かと比べられる立場にあり、恐らく、二人の間には、かなりの対抗意識があったものと考えられます。(特に重衡の方が)
ということで、この維盛さんは、今後もちょくちょく登場することになりそうです。(もちろん、脇役の一人としてですが…)
 
さて、この7節をもって第1章は終了し、次回より、第2章へと話は移ります。
竜のその後と、茜の入内問題と、当面は、京と筑紫を行ったり来たりの展開になりますが、今後とも、よろしくお付き合い下さいませ。
 
   

   
2003年11月21日「春雷」をアップ
 
  長らくの御無沙汰でした。いやあ、時が経つのは早いもので、気づけば前節アップから既に2ヶ月が…。
不定期更新とはいえ、これは、少し遅れ過ぎ。全く、面目次第もございません。
 
さて、これまでどうも女っ気の少ない内容でしたが、一転して、今節の主役は茜姫。平家史上有名なあの方の初恋物語を書いてみました。
もちろん、名前も話も筆者の創作ですから、絶対に、真に受けたりしないで下さい!(そんな方はいないとは思いますが)
 
では、今回は史実うんぬんは語るだけ野暮なので、これにて御免!
 
   

   
2003年9月30日「青龍の招く宿縁」をアップ
 
  前回に引き続き登場の文覚上人。伊豆に流刑中の源頼朝に挙兵を勧めた、というより、そそのかした人物として有名でしょうか。
 
『平家物語』では修験道を極めた超人のイメージが強く、架空の人物と思いきや、九条兼実の日記『玉葉』にもその名が書き記されており、実在したことは間違いないようです。
生年未詳ですが、神護寺再建に着手し始めた頃が30歳前後との説より、本作では、平重盛や玄武(架空)と同年代に位置づけています。
 
北面の武士から仏道へと転身した理由について、『源平盛衰記』に有名な逸話がありますが、これについては、本筋にも関わってくるため、また後日の機会にご説明を。
 
ところで、文覚が生涯をかけて再建に努めた高雄神護寺は、三尾(高尾・槙ノ尾・栂ノ尾)と称される京都随一の紅葉の名所ですが、その時期は人出も最高潮で、残念ながら、優雅に錦秋の風情を楽しむという雰囲気には程遠いですね。
 
そんな中でおすすめは、高雄から清滝川沿いに設けられた自然遊歩道。
さすがに、この辺りは人通りもまばらで、川のせせらぎをBGMに眺める紅葉というのも、中々よいものですよ。
それほどきつい坂道ではありませんが、一応地道ですので、ピンヒールなどは避けられた方が無難です。(実際、それで登ってくる方を見かけて、ビックリしたことがあります)
 
1時間ほどで清滝(こちらも紅葉の名所)に、さらにトンネル(車がひっきりなしに通るそばを歩くので少し怖い)をぬけて嵯峨野・嵐山に出ることもできますので、ハイキング気分で行かれてはいかがでしょう。
 
さて、最後になりましたが、今節では、かの有名な遮那王(義経)と弁慶も初登場。それも、お約束の五条の橋での大立ち回り。
義経・弁慶といえば、どうしてもはずせない名場面の一つということで、あえて取り上げております。しかし、その場に平重衡が遭遇したというのは、全くの創作ですので、あしからず(というより、この立ち回り自体が恐らく虚構なのですが…)
義経も弁慶も今回は顔見世のみ。本筋への登場は、まだまだ先になりそうです。
 
   

   
2003年8月26日「修羅の門」をアップ
 
  今回は『平家物語』でも有名な「殿下乗合」を取り上げた一節。
「殿下」は摂政関白の異称(【彩々雑学】を参照)で、時の摂政基房と清盛の孫資盛との間に起きた闘諍は、物語上の虚構でも何でもなく、現実に起きた事件でした。
 
しかし『平家物語』では盛大な脚色が施され、事件の起きた時期や状況、主体となった人物に史実と異なる部分が多々あります。
詳しい解説は、いずれ【平家随想】の綴織事件帖の方にアップしようと思っていますので、そちらを御覧いただくとして、本作においては、文中にも登場する九条兼実が記した日記『玉葉』などの史料側の情報に、やや重きを置いた設定となっています。
 
さて、平家悪行の始め
――その原因を作った平資盛。
彼は、軒並み知名度の低い平家一門の公達にあって、比較的有名人の部類に入ります。
それも若気の至り?で起こしたこの愚行と、後年の才媛右京大夫とのロマンスに所以するのですから、貴族化した平家を象徴する人物と言えます。
 
右京大夫ほどの女性が愛した男性なら「さぞや…」という見方もできますし、一方「あんな男になぜ…」と彼女のセンスに疑問を持つ向きもあるでしょう。何しろ「恋は盲目」と申しますし…。
 
ただ、残念ながら、彼は主要人物の中には入っておりませんので、今後もあまり登場機会はない見込みです。
なお、前半部に登場の文覚については、次節アップ時にご紹介したいと思います。
 
   

   
2003年7月15日「京に集う者の横顔」をアップ
 
  前節より話が一気に三年後に飛んで、新たな登場人物も加わってきます。
その一人、金売り吉次は奥州人という解釈が一般のようですが、本作では、都人で玄武の旧友という設定にしています。
察しの良い方は、今後の吉次の役回りもおわかりでしょうが、それはまだまだ先の話ですので、もうしばらくお待ち下さい。
 
さて、今回の舞台の一つとなっている法住寺殿。残念ながら後の騒乱によって焼け落ちて以後は、再建されることなく、今はその敷地内にあった蓮華王院(三十三間堂)が残るのみです。
 
三十三間堂といえば、修学旅行のメッカですから、訪れたことのある方も多いことと思いますが、関西在住の筆者は、あまりに近場過ぎて、却って機会を得ず、昨年(2002年)の秋にようやく初お目見えの運びとなった次第です。
 
とにかく、雛壇に整然と並んだ千体もの千手観音像は圧巻もの!
奈良の大仏様のあの巨大さにも目を見張りますが、よくもまあ、これだけのものを作ってくれたものだと、呆れるやら感動するやら。
 
三十三間堂は清盛の寄進によるものとかで、これのみならず、安芸の厳島神社の改修や、大輪田の泊の造営などにも尽力した、当時の平家の財力って…、考えただけでも気が遠くなりそうです。
 
   

   
2003年7月7日「龍王の住む宮」をアップ
 
  今回の舞台は、日本三景の一つ、安芸の宮島―厳島―。いよいよ平家一門の登場です。
厳島神社といえば、世界遺産にも指定されている日本を代表する建造物ですが、あの海上に浮かぶ社殿の構えは、平清盛が行った大改修により仁安3(1168)年に完成を見たと言います。
 
と、ここで「あれ?」と思われた方もいるでしょう。
物語の設定は仁安2(1167)年の初夏となっており、その頃はまだ、私達のよく知るあの寝殿造りではなかった、というより、工事の真っ最中だったというのが正しいかと思います。
 
改修前がどのような姿であったかを考える以前に、やはり厳島神社といえば、水に浮かんでいなければ…という絶対的なイメージがあるのと、年代設定を変更すると後々に支障が出るという、全くの筆者の都合により、勝手に改修済と位置付けております。
 
現在の厳島神社は、鎌倉時代あるいは戦国時代の再建ですが、ほぼ平清盛の時代の建築様式がそのまま引き継がれていると言われています。
ただ、海に浮かぶお馴染みの景観は、いつでも見られるわけではなく、大潮の頃の満潮時に限られます。それでも、どうしても見たいという方は、前もって、暦と潮位の変動を調べておかれた方が、がっかりせずにすみそうです。
 
   

   
2003年7月1日「碧き風 緋の海」連載開始
 
  平家最後の大将軍と詠われた平清盛の五男重衡と知略の勇将源義経、この宿命の両雄をメインに、彼らに関わる異国人竜との友情と愛憎、そして、激動の時代に翻弄されながらも、必死に生きる道を模索し続けた人々を描いた物語です。
 
話は重衡の幼少期よりスタート。
平家・源氏・奥州藤原氏、さらに京の公家諸侯と、多くの魅力ある人物に、少しでも光を当てたいと欲張ったこともあり、かなりの長編になることは必至で、果たして「完」の文字を打てる日が来るのか…、少々不安ではありますが、どうか末永くお付き合いいただければと願っております。
 
さて、今回アップしました「西の果ての漂流者」は、異国人の竜と京の商人玄武との運命的な出会いに焦点を当てた序章になりますが、竜は勿論、玄武とその仲間、宋国の商人も全て架空の人物です。
また文中にあります「安南」は現在のベトナム、「呂宋」はフィリピンの辺りを指す古称です。平安時代末期にこの名称が使われていたかどうかは不明ですが、比較的イメージがしやすいのではと考え、これを使用しております。
   
   
   
 
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